東京で登山 千駄ヶ谷富士(その2)現存する都内最古の富士塚。
その1のつづき。
あらためて辺りを見回すと、富士塚の説明看板がありました。
1789年(寛政元年)の築造で、関東大震災後に修復をされているものの、都内に現存する富士塚では最も古いものとのことです。
1789年は日本では徳川家斉の治世、天明の大飢饉が起こり、寛政の改革が始まろうとしていた頃ですね。富士塚が作られた背景には世の中の不安感もあったのでしょうか。
ちなみに1789年というとフランス革命の年ですね。関係ありませんが。
説明看板の近くには、親切な富士塚マップがありました。
登山口は3つ記載があります。
反時計回りから以下の3つが登山口のようです。
この他、先ほどの鳥居の脇からもいけるので、4カ所から登れます。
白い鳥居のある登山口が正門っぽいので、ここから登ります。
鳥居をくぐると橋で堀を越えます。
先ほどの説明看板によると、
『塚の前面には池があるが、この池は塚築造のため土を採掘した跡を利用したもので、円墳上の盛り土、前方の池という形は江戸築造の富士塚の基本様式を示している。』とのこと。
橋を越えると左手に「参明藤開山」という碑がありますが、「参」は「三尊」、「明藤開山」は「明らかに富士を開く」という意味で、富士山信仰におけるおまじないを書いてお守りとしたもののようです。
「参明藤開山」の碑の脇を抜けて登山道を上ると、ほどなく一つ目の登山道からの道と合流します。
その奥には鳥居があり、進んでみるとお宮がありました。看板にあった「里宮」です。
先ほどの説明看板では木造とありましたが、コンクリート製に見えました。老朽化などで建て替えたのでしょうか。
正面登山道との合流点まで戻って、上を目指します。
その3へつづく。