ワイン造りの夢の跡。牛久シャトー
まだ東京に緊急事態宣言が再発令される前のこと。
麻井宇介氏の本を読んでから日本ワインの源流に関心を持ち、源流の一つである牛久シャトーに行ってきました。
1903年に神谷伝兵衛が造ったワイナリー。
もともと「シャトーカミヤ」と呼ばれていましたが、2017年に現在の名前に変わったようです。
昨年2020年には日本ワインの原点ということで、山梨県甲州市とともに日本遺産に認定されました。
入口に立つシャトー本館は、事務室として使われていたようです。
本館を抜けると、旧発酵室である神谷伝兵衛記念館が現れます。
それにしても雲一つない快晴。
入場は無料。1階は樽が並んで当時の様子を忍ぶことができます。
2階に登ると色々な展示。
感染再拡大期だったのでなるべく他人との会話を控えようと思っていましたが、館内には係員すらいない状況だったので結局誰ともしゃべらず。
静寂に包まれた館内で、しばし明治時代に想いをはせました。
神谷伝兵衛は輸入ワインに蜂蜜など甘味料を混ぜた甘味葡萄酒を売ってヒットを飛ばしていましたが、次第に自社でのワイン醸造を目指し(麻井氏によると輸入ワインへの混ぜ物規制の先手を打って)、養子をボルドーに留学させたのち、この地でワイン造りを始めました。
当時造られていた甘味葡萄酒。
どんな味がするのでしょうか。
写真は1911年のシャトーの様子ですが、まさにボルドーのシャトーを思わせる壮観です。
戦中に荒廃し、戦後のGHQによる農地改革で畑をほとんど失いましたが、かつては広大なワイン畑を持っていました。
園内にはシャトーの所有者で神谷伝兵衛を創業者とする総合酒類メーカー、オエノングループの展示施設もあります。
オエノンは しそ焼酎「鍛高譚」などが有名ですが、むしろスーパーのプライベートブランドの製造者でよく出会います。
さて、日本ワイン草創期の立役者は、大きく以下の三者かと思います。
日本初の民間ワイナリー。紆余曲折を経てメルシャンなどへとつながる。
○川上善兵衛
岩の原葡萄園を開園、マスカットベーリーAなどを開発。
○神谷伝兵衛
甘味葡萄酒を製造、シャトーカミヤを開園。
前2者はワイン造りのバトンが受け渡されていますが、この神谷の流れはワイン造りという意味ではほとんど途絶えてしまっています。
神谷という名前からはワインよりも「神谷バー」「電気ブラン」を連想する方が多いのではないでしょうか。
現地には、わずかながらブドウ畑が残されています。
ハイシーズンに来れば人も多くもっと違った印象になったのでしょうが、この時は私一人しかいない状態。
「兵どもが夢の跡」といった感じが強く、少し寂しさを覚えながらシャトーを後にしました。
しかし、クラウドファンディングでワイン醸造を再開させようというプロジェクトが始動しており、復活に向けた新しい動きがあるようです。
やはり現在に繋がるものがないと寂しいので、期待したいですね。